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楚材晋用(そざいしんよう)

天地人 その4

第二次大戦の終戦後、ある日本人がアメリカの将校にある戦図を見せたそうです。

その将校は、
「これは西側の陣が勝利だろう」
と即答しました。

しかし、日本人の答えは、
「東側の陣が勝ちました」
と答えました。

それに対して、将校は
「そんな馬鹿なことがあるか・・・」
としばし長考し、
「裏切りか?」
と答えたそうです。

これが、関ヶ原と呼ばれる合戦の後世の世の評価です。


関ヶ原と言うと、数年前まで三成がいかに戦が下手かを説明するものだったのですが、
古くは司馬遼太郎師から、近年では池宮彰一郎氏に至り、その評価は覆ります。

全滅
というのは戦史上でも稀で、
ほとんどの戦というのは、たいてい総兵力の一割か二割ぐらい減ったところで、
負けだと判断され、そのまま全軍潰走するというのはご存知でしょうか?

全滅というのは、兵が将に絶対の信頼をもっていないとなりません。
関ヶ原では、その全滅を3部隊が行います。

石田三成勢、大谷吉継勢、島津義弘勢

です。

この天地人の「ふたつの関ヶ原」では、
石田、大谷部隊の全滅具合を描写しています。

先に描写されない島津の話をしておくと、
関ヶ原合戦後、兵680の島津勢はそのまま徳川本陣に突撃。
一撃を与えた後、離脱し、残兵わずか18になるまで戦い続け、
そして、主君島津義弘を薩摩へ帰国させたという具合です。

これは無条件降伏をしないために一戦し、
主君(部隊の指揮者)を帰国させて、まだ戦えるという姿勢を貫くためのもので、
島津奔る@池宮氏 を読んでいただくとわかると思います。


さて、次は大谷勢の話ですが、
秀吉に万余の兵を指揮できる男と評されながら、小石の大名だった彼は、
西軍の右翼を務めながら、小早川勢の裏切りを予見して陣を敷いていたというのが、
現在の評論家の意見です。

つまり、大河のように小早川の裏切りに驚いたというようなことはなかったと思われます。
事実として、小早川の裏切り後もしばらくはもちこたえ、東軍に流れた戦機を押しとどめました。

が、大谷勢の与騎である脇坂・赤座・小川・朽木らも裏切るにつけ、
自らは自害。残された部隊も全滅するまで戦い続けました。

この大谷吉継が目も見えない状態で、そこまでの指揮をしたというのは有名な話です。


さて、石田勢の話になりますが、
戦下手で有名な彼は、島左近・蒲生頼郷・蒲生舞兵庫という当時有名な武将を配下にしていました。
彼らを雇うために自分は家臣より低い禄しか得ていなかったというのは有名な話です。

なので、部下たちは三成のために命を惜しみませんでした。
島左近は遺体が見つからなかったし、他の部下も生き延びていません。
なにより、徳川勢の大半を石田勢が受け切っていたという事実もあります。


歴史if というやつですが、もし、三成が決起していなかったら、
これは確実に徳川の世になっていたでしょう。
それくらい家康は織豊政権を経て老獪になっていました。

だから、この慶長5年、1600年というのは、

豊臣が天下を保持するか、徳川が天下を取るか、

また、大名による衆議制政権(豊臣)か、徳川という絶対政権か、

というもの決定する運命の刻でした。


結果として、福島、小早川、加藤も、毛利も、そんなことなど考えもしなかった
政治を主導しているという認識のない人間が天下を決定させてしまった。
というのが、私の彼らの評価です。

天地人では、義の旗の元、上杉に三成が感化された上の義の戦になっていますが、
三成であれば、なにがなんでも自らの義を貫いていただろうとそう思うわけです。

なんにしても、負けた側の人間を悪く残さないというのは、
現代の日本の最も良いところだと思います。


さて、最後ですが、小栗旬さんの三成、格好よかったですね~。
正直、もうちょっと長く見ていたかったです。
とかなんとか言っていると、次回は「三成の遺言」だとか、
(録画で観ているのでちょいと、時間がずれています)
最後の見せ場を明日(?)観ます。


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